自己紹介 - 進路 -

Astriumでのインターンを始めてから一か月以上たった2012年10月17日、その日はAbteilungsausflugというイベントがあった。Abteilungは部署、Ausflugは遠足なので、要は部署のみんなでお出かけして親交を深めましょうというものだ。イベントのメニューは、郊外にある古城の内部ツアー、そしてその後レストランでお食事というものだった。

f:id:uchu-engineer:20170716164900j:plain

籍を置かせてもらっていた部署は、全体で数十人規模であったが、インターンは数人の上司とのみコミュニケーションをとりながら作業を進めていくという形だったので、その日初めて会話をする方も多くいた。そして、ある人との出会いが、その後の僕の進路を大きく変えることになった。

彼はAstriumの社員でありながら、ドイツ航空宇宙センター(DLR)のプロジェクトのサポートをするという立場だったのだが、そのプロジェクトで、日本人で、宇宙機のハードウェアを扱うことができて、ハードスケジュールなんかにも対応できる、小回りの利く奴を探しているというのだ。そしてもし僕が希望するなら、DLR側に紹介してくれるという。幸運としかいうほかないオファーであった。

もちろん、何もかもいい話ばかりというわけではない。まず、あくまでプロジェクトベースの短期的な雇用しか期待できない。当然、プロジェクトが終わるなり、繁忙期が過ぎるなりすれば、次のポジションは全く保証されない。またもともと、僕はこのインターンが終われば日本に戻り、次年度からはドクターとして研究を続ける予定だったのだが、突然の方針転換となれば、研究室の指導教官には迷惑をかけることになる。海外でしばらく好き勝手やった後また戻ってきたいです、なんてワガママが通るかは怪しいし、仮に受け入れてもらえたとしても、海外就労を有効に生かす方法を見つけなければ、海外にいた時間分だけ遅れを生じさせるだけ、という結果になる。それでも、自分の中での希望ははっきりしていた。

"ドイツの航空宇宙センターで働いてみたい"

結局、書類審査および面接を経てプロジェクトエンジニアとしての短期契約をいただいたのが翌2013年1月初旬。その後は何もかもがジェットコースターのように進んだ。1月末にはインターンのタスクを終え、2月1日に日本に帰国。大学で修士論文をなんとか書き上げ、卒業式にも出席せず、2月14日には再びドイツに飛んだのである。

その日、ブレーメン空港に着いた僕に迎えはなかった。それはきっと進歩なんだろう。僕は、日本から来たインターンというお客さんではなく、プロジェクトエンジニアとして来たのだから。